最高裁判所第二小法廷 平成7年(オ)2193号 判決 1997年4月25日
那覇市字栄原一丁目二七番一二号
上告人
具志孝正
右訴訟代理人弁護士
和田隆二郎
木戸伸一
安酸庸祐
被上告人
国
右代表者法務大臣
松浦功
右指定代理人
大竹聖一
右当事者間の東京高等裁判所平成六年(ネ)第五六二一号損害賠償請求事件について、同裁判所が平成七年七月一九日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人和田隆二郎、同木戸伸一、同安酸庸祐の上告理由について
原審の適法に確定した事実関係の下においては、所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、独自の見解に基づいて原判決を非難するに帰し、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 河合伸一 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 福田博)
(平成七年(オ)第二一九三号 上告人 具志孝正)
上告代理人和田隆二郎、同木戸伸一、同安酸庸祐の上告理由
一、職務上の秘密の判断の方法について――職務上の秘密にあたるかどうかは当該事項を秘密とすべき必要性を具体的に検討して判断すべきである。
原判決は、安谷屋に対する税務調査に関する本件尋問事項が国公法一〇〇条一項の職務上の秘密にあたるかどうかについてとくに新たな判断をせず、第一審判決記載の理由をそのまま引用している。
右の原判決の判断は、本件各尋問事項が職務上の秘密に該当するかどうかを判断するにあたり、第一審判決と同様、調査に関する事実が開示された場合の弊害や将来の税務調査に及ぼす影響について具体的な検討をせずに、一般的に調査の秘密を守る必要性があるということだけから本件尋問事項のすべてについて守秘義務の発生を認めたものである。
しかし、ある事項が職務上の秘密にあたるかどうかを判断するにあたっては、問題となっている事項を開示することによる弊害やその事項を秘密とすることによって守られる利益について、当該事案の個別的な事情にもとづいて具体的に検討し、これらを総合して真に秘密として保護すべき必要があるかどうかを判定すべきであり、当該事項を秘密とすべき一般的必要性からただちに守秘義務の発生を認めるべきではない。
そもそも、税務職員に職務上知ることのできた秘密を守る義務が課されているのは、原判決も指摘するとおり、「税務行政の適正な執行を確保する必要」があるからであり、右の法の目的を害するおそれがない場合は開示を拒む理由はないから、ある事項が職務上の秘密に該当するかどうかを判断するにあたっては、事案の具体的な事情に即して、前記の法の目的にてらして秘密とする必要があるかどうかを具体的に判定すべきであって、たんに一般的、抽象的に当該事項を秘密とする必要があるということだけから守秘義務を認めることは許されない。すなわち、問題となっている尋問事項の内容を個別的に検討し、各事項を秘密とすることによって守られる利益、各事項が開示されることによって予想される弊害、将来の税務行政に及ぼす悪影響、調査対象者の承諾の有無等を具体的に検討し、他方、その事項について開示を求められる事情、裁判における真実発見の必要性等も考慮して、これらの要素を総合して右の判断がなされるべきである。
原判決は、右のような判断の手法をとらず、具体的な検討をすることなく第一審の判断をそのまま容認し、本件尋問事項の全部を職務上の秘密と認めており、その判断の方法自体が違法である。
二、本件反面調査の非公知性について――本件反面調査の存在は高度の蓋然性をもって推定される事実であり、実質秘の要件としての「非公知性」が認められない。
原判決は、本件反面調査がなされたことが公知の事実といえるかどうかの点についても、これを否定する第一審判決の判断と同一の見解をとることを明らかにし、さらに、「(控訴人が、安谷屋に大(対?)して新垣が税務調査をしたことの有無等を尋問事項として証人尋問申請をし、裁判所がこれを採用したこと自体、右事項が公知の事実でないことを物語るものである。)」と補足している。
しかし、上告人が再三主張しているとおり、本件のように、上告人から安谷屋に対し売買を原因とする所有権移転登記がありながら、上告人が右所有権移転登記の目的は譲渡担保である旨記載した書面を提出したところ結局譲渡所得に対する課税がなかったという事案においては、安谷屋に対して反面調査を行い、安谷屋から上告人の主張と同趣旨の回答を得たことは疑いがない。税務署としては、上告人の主張だけから課税をやめたり、事案を放置したりすることはできないのであるから、税務署がなすべき調査を怠り恣意的な判断によって課税をとりやめた可能性を認めるのでないかぎり、調査の具体的な内容、方法、日時等はともかくとして、税務署が安谷屋に対して反面調査をしたうえで課税しないこととしたという基本的関係については、疑問をさしはさむ余地はない。したがって、安谷屋に対する反面調査があったはずであるということは、通常では他に選択の余地がない程度に高度の蓋然性をもって推論できる事実であり、上告人がこれを公知の事実であるというのも、右の意味においてである。
このように高度の蓋然性のある経験則によって存在が推定される事実については、たとえいまだ公的には発表されていない事実であっても、証言等によってその事実が実際にあったことが明らかとなっても格別税務調査の方法や内容について一般に知られていない情報が開示されることになるわけではないから、これを秘匿する実益はなく、秘密として保護されるべき利益は認められない。その意味で、本件反面調査があったという事実は、非公知の事実とはいえず、実質的な秘密に該当しないというべきである。
なお、前記のとおり、原判決は、上告人が、税務調査の有無等を尋問事項として証人尋問申請をし、裁判所がこれを採用したこと自体、右事項が公知の事実でないことを物語るものであるというが、これは、秘密の要件としての「非公知性」の問題と証拠法上の(立証を要しない事実としての)「公知の事実」の問題とを混同した議論である。本件反面調査が行われたはずであることは、前記のとおり、秘密として保護するに値しないほど高度の蓋然性をもって推定しうる事実であるが、それが実際に行われたことを訴訟上当然に「公知」(立証不要)と扱うことはできないため、上告人は職員の証言によってこれを立証しようとしたのである。
三、国公法一〇〇条三項および民訴法二七二条一項の解釈――国家公共の利益が害される具体的な危険を検討せずに証言を不許可とすることは違法である。
本件不許可が国家公務員法一〇〇条三項に違反し、かつ民事訴訟法二七二の解釈上認められる裁量権を逸脱した違法なものであるとの上告人の主張について、原判決は、とくにこの点に触れておらず、他方第一審判決の争点に対する判断を全面的に引用しているから、第一審とまったく同一の見解をとるものと思われる。
しかし、上告人が原審における平成七年四月一七日付準備書面第三項で主張したとおり、第一審判決は、右の点について合理性のある法解釈を示していない。
国家公務員法は、一〇〇条一項において、公務員が職務上知ることのできた秘密について一般的な守秘義務を定めているが、法令による証人となる場合等については、同条第二項で所轄庁の長の許可を必要とするとの手続を定め、これを受けて同条第三項では「法律または政令の定める条件及び手続に係る場合を除いては」その許可を拒否することが許されないことが規定されている。右国家公務員法の規定は、一般的な守秘義務を定めつつも、法令による証人となる場合等については特別の規定を設け、裁判における真実の発見の要請との調和をはかり、原則として守秘義務が解除されることを明らかにしたものである。したがって、解釈上、右国公法一〇〇条三項にいう「条件及び手続」にもとづくものと認められないかぎり、所轄庁の長が証言を不許可とすることを容認する余地はない。
上告人が再三主張しているとおり、民事訴訟法二七二条一項は、国公法一〇〇条三項に定める手続を定めるだけで、不許可とすることのできる「条件」の定めはまったくないのであるが、かりに、右の民訴法の解釈として、第一審判決の説くように、同条項が民事訴訟において常に真実の発見を優先させ、国家の秘密の保護をまったくはからない趣旨ではなく、監督官庁にある程度の裁量を許すものと解するとしても、前記のような国公法一〇〇条三項の規定の仕方とその趣旨からすれば、裁量によって証言を不許可とすることが認められるのは、当該事案の個別事情にてらして、国家ないし公共の利益が害される具体的な危険がある場合に限られると解すべきである。
かりに、国公法一〇〇条一項の解釈としては、一般的な秘匿の必要性の有無を基準として守秘義務の有無を判断することができるとの見解に立ったとしても、前記のとおり国公法一〇〇条三項で、法令による証人となる場合については守秘義務が一般的に解除され、証言を不許可とすることが厳しく制限されていることにかんがみれば、民訴法二七二条一項の手続にしたがって監督官庁が職員の証言に承認を与えるかどうかを判断する場合については、国公法一〇〇条三項の趣旨に合致するよう裁量権が制限されるべきであり、前記のような具体的な危険がある場合にのみ、証言を不許可とすることが許されると解すべきである。そうでなければ、一般的、抽象的な危険の存在が認められ、国公法一〇〇条一項にいう「秘密」と認められる事項であれば常に証言を不許可とすることができることになり、国公法一〇〇条三項の存在意義はまったく失われるからである。
右の点について、第一審判決も(したがって原判決も)、監督官庁にまったく自由な裁量権を認めるものではなく、「国家ないし公共の利益を害するおそれのあるような場合に限り、承認を拒むことができる」との基準を示しているが、右の基準の適用にあたっては「国家ないし公共の利益を害するおそれ」について本件の事情に即した具体的な検討をすることなく、本件尋問事項が税務調査の有無、調査目的、調査内容および調査結果に関するものであり、これが私人間の訴訟において開示されることになれば、税務調査により税務職員が知りえた事項を開示されないという保障が不十分となって、将来の税務調査による真実の把握が困難になることが予想されるという一般論によって、本件不許可に違法はないと結論づけている。
右の判断は、結局一般的に保護の必要性がある秘密であると認められれば、ただちに証言を不許可とすることが許されるとするものであり、国公法一〇〇条三項に違反し、かつ民訴法二七二条一項の承認について許される裁量権の範囲の解釈を誤ったものである。
四、国家公共の利益の侵害の具体的な危険の有無――本件尋問事項について税務職員が証言しても、国家公共の利益が害される具体的な危険は発生しない。
原判決は、前面的に第一審判決記載の判断を引用しているから、本件尋問事項を開示することによる国家公共の利益の侵害の具体的な危険の有無について踏込んだ判断をせず、ただ補足的に、かりに安谷屋が税務職員の証言を承諾していたとしても結論に変わりがない旨判示するにとどまる。
しかし、前記のとおり、個別的な事情にてらして国家公共の利益が害される具体的な危険が認められないかぎり証言を不許可とすることは許されないとの解釈をとるとすれば、その具体的危険の有無が詳細に検討されなければならない。以下、原判決の問題点を取上げながら具体的に考察する。
まず、第一審判決および原判決は、前記のとおり、税務行政の適正な執行を確保するという一般的な観点から本件各尋問事項に関する税務職員の証人尋問を拒否することを認めている。原判決は、安谷屋の承諾があってもなお証人尋問を拒否することができる理由のひとつとして「申告納税制度の下での税務行政の適正な執行を確保する必要があることはいうまでもなく、税務調査の方法やその範囲(反面調査の要否ないしはその実施の有無を含む)についても秘密を守る必要がある」ことを挙げているが、本件尋問事項について証言がなされることによって税務行政上どのような不都合が生ずるのかについての具体的な検討はしていない。
本件尋問事項は、複数の項目を含んでいるが、その核心は「安谷屋に対し反面調査をした結果、上告人の主張に沿う回答が得られたので、上告人の譲渡所得に対する課税をとりやめた」という点にある。右のような調査が行われること自体は、前記のとおり高度の蓋然性のある経験則によって推定される事実であって、なんら税務調査の内容や方法に関して一般に知られていない事実を開示するものではなく、このことが職員の証言で明らかになったとしても、とくに将来の税務調査に不都合が生ずることは考えられない。確かに一般論としては、ある種の調査対象事案について、税務署がどのような内容の調査をどの程度行うのかが公になると、税務署の手法や調査能力に関する情報が一部でも一般に知られ、以後の調査に支障をきたすおそれがあるということは十分考えられることである。しかし、本件では、前記のような、誰でも知っている常識として当然の事柄が明らかになるだけであって、税務調査の内容、方法について一般に知られていない実情が公になるという要素はまったくない。
原判決は、「本件尋問事項は、単に安谷屋の回答内容という単純な事実に限られるものではなく、いかなる場合に、いかなる事項について、いかなる方法によって調査を行うか等、税務調査の方法やその範囲に及ぶことが予測されるから、税務職員の所属する所轄庁の長は、こうした観点から、証人尋問に際して秘密を開示することを許すかどうかを決することとなる。」というが、これも抽象的な議論であって、実際本件尋問事項について考えてみると、前記のような反面調査が行われたという基本的な事実の有無が問われるだけであって、それ以上に「いかなる場合に、いかなる事項について、いかなる方法によって…」などというように広く税務調査の実態を公開することが求められるわけではないのである。
また、本件では、安谷屋が税務職員の証人尋問を承諾していたという事実も重要である。原判決は、安谷屋自身が守秘義務によって保護されるべき利益を放棄していることを認めながら、前記の理由に加えて「反面調査の被調査者が、将来、当人が当事者である訴訟において相手方から調査に関する証人尋問について承諾するか否かを迫られる可能性があるということになると、一般国民に反面調査への協力を躊躇させる結果となるおそれもある」との理由から、安谷屋の承諾があるからといって、本件不許可を違法であるということはできないとしている。
しかし、守秘義務によって守られるべき被調査者の利益とは、調査の有無、調査事項、回答内容等について、将来自己の意に反してみだりに公表されることがないという保障である。かりに後日証人尋問について承諾するかどうかを問われることがあったとしても、これを拒否することができれば、被調査者の保護としては十分である。およそ私人の処分可能な法的利益については、利益の主体がこれを保持するか放棄するかを問われることはしばしばあることであり、利益を享受するかどうかの選択を求められないことまで保障されなければならないものではない。また、税務調査に関する事項について、そこまでの保障がなければ一般国民が調査への協力を躊躇するということもない。被調査者の明確な承諾があるのに、なお前記のような理由から調査に関する事実を秘密にしなければならないと説く原判決の立場は、一方的に税務調査の便宜の保護に偏するものである。
以上のとおり、本件尋問事項について税務職員の証人尋問が行われることによって何らかの公的ないし私的な利益が害されるおそれがあるかどうかを具体的に検討してみると、税務行政の適正な執行になんらの悪影響を及ぼすおそれもなく、かつ被調査者である安谷屋自身証人尋問を承諾しているのであるから、これを不許可としなければならない理由はないことが明らかであるから、証人尋問について裁判所から承認を求められた監督官庁は、必ずこれを許可しなければならない。
したがって、本件において沖縄国税事務所長が新垣の証言を不許可としたのは、その裁量権を逸脱ないし濫用したもので、違法である。
なお、本件尋問事項中には、調査の手法についてのやや詳細な事項や税務署の内部処理に関する事項も含まれている。しかし、本件証人尋問では、このような事項について証言が得られなくても、反面調査についての基本的事実が明らかになれば目的が達せられるから、かりに一部の事項について証言を拒否することが違法でないと認められる余地があるとしても、本件尋問事項の全部について証言を不許可とすることは許されず、証言の全部を不許可としたことが違法であるとの結論に変わりはない。
五、以上のとおり、原判決には、法律の解釈、適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、上告の趣旨記載のとおりの判決を求める。
以上